思いつくままに 
   
   そのとき考えたこと感じたことを、気ままに書き並べてみました。鳥見に係ることも、そうでない話もあります。内容も種々雑多です。気楽にお目通しいただけると幸いです。
第1回 2005年5月20日
第2回 芋焼酎 2005年6月 4日
第3回 プール 2006年8月27日
第4回 盂蘭盆会法要 2017年8月 9日

      

    
              

   (2005年5月20日)

写真は河口湖IC付近からの虹
  
  一昨日の夕方、東の空に虹を見ました。夕立のような雨が上がった、ちょうどそのあとになります。虹を見たのは久しぶりです。この前見た虹は、今でも記憶に残っています。
  あれは2002年の6月のことです。富士山に行く途中でした。高速道路で、大月から河口湖ICに向かっているときです。ちょうど、富士山の裾に虹がかかっていました。いつもこの高速道路を走っていると、途中から急に富士山が眼前に広がります。私はこの瞬間が大変好きで、この日も、その期待を胸に運転していました。案の定、インターに近づくと富士の姿が現れました。
105-0600_IMG-s.jpg (57441 バイト)しかも虹にきれいに彩られて。思いもかけず、その風景を眼にした私は素晴らしい一日のスタートが切れました。

  この頃は、まだ本格的な鳥見を始めていませんでした。しかし山中湖畔で白鳥などをながめたり、河口湖でカルガモの愛くるしい親子の姿に微笑んだり、木々の間から流れてくる鳥のさえずりに耳を傾けたりして、鳥たちと楽しい時間をすごしました。
  スコープを持った富士山での鳥見は翌年の6月になります。初心者の私は、その日も、鳥見のポイントが分からないまま、あてどもなく森の中に入って行きました。すると、森の中は鳥のさえずりでいっぱいです。まるで鳥の鳴き声のシャワーを浴びているようです。しかし、いま聴こえてくるのは何の鳥なのか、皆目分かりません。事前にCDで、鳥の鳴き声の勉強をしたのですが、現場に出てみると皆同じように聞こえてしまいます。ツツドリ、カッコウあたりは分かるのですが、あとはなかなかです。かろうじて、キビタキの声が分かりました。しかし、鳴き声のする方向を探すのですが、鳥の姿は全然見えません。木々の葉の中にはいっていて見つからないのです。もっと簡単に鳥は見つけられるものと思っていたのですが、そんなに甘くはありませんでした。それでも、そのあと、ホオジロの独特の鳴き声を聞くことができましたし、カッコウの姿をすぐ近くで観察できました。また、ホトトギスが鳴きながら飛んで行く姿を何回も確認できました。ヤマガラが目の前で遊んでくれる時間もありました。アオジのさえずりも聞きました。アオゲラが急に樹の穴から顔を出し、お互いに驚いたこともありました。写真は、ほとんど撮れなかったのですが、素晴らしい鳥見をすることができた一日でした。

   鳥見を終わると私には、必ずといって良いほど未燃の部分が残ります。今日はこの鳥に会えなかったとか、この鳥の写真はここがうまく撮れなかったとか。100%満足して一日が終わることはほとんどありません。しかし、だから鳥見は楽しいのだと考えます。次への目標、課題があるから楽しみが継続するのだと思います。
     
           芋焼酎

  (2005年6月4日)

    写真は白麹旭萬年。

       お気に入りです。

  
  私は毎日のように晩酌をします。量はあまり飲まないのですが。定番は芋焼酎です。夏の場合はビールと芋焼酎のお湯割り、冬の場合は芋焼酎のお湯割りというパターンです。最近焼酎ブームだそうです。特に私の好きな芋焼酎は人気が高いようです。
  私が芋焼酎と付き合うようになったのは昭和50年代の後半からですから、20年以上になります。九州の宮崎に出張に行った時、そこで、芋焼酎のお湯割を飲む機会がありました。その香り、ほんのりした甘味がすっかりお気に入りになり、それ以来、芋焼酎は欠かしたことがありません。

 以前は入手できる芋焼酎は、白波、霧島あたりの全国ブランドでこれも長年飲んでいると、やはり少し飽きが来ます。そのような中、近くに焼酎専門店があるのを発見したのは4年ほど前です。芋焼酎を置いている居酒屋をネットで検索していたら、この店を見つけました。場所も比較的近くにあることも分かりました。ここの店主の小林昭二さんは一途な方のようで、店にはこだわりの焼酎などが所狭しと並んで居ます。それ以来、月に2・3回通うようになりました。「佐藤黒麹」「いも麹芋」「国分」「晴耕雨読」「たなばた」「大正の一滴」「伊佐大泉」などいろいろの種類の芋焼酎に出会いました。今のお気に入りは「白麹旭萬年」です。これも小林さんのお勧めで飲むようになりました。白麹なのですが、独特の香り、味が気に入っています。

 焼酎といえば小さい頃、近くの酒屋にお使いに良く行ったことを思い出します。当時、酒屋ではソースなどのの量り売りをしていて、親から頼まれて買いに行ったのです。小さなビンを持って店にはいると、そこではその日の仕事を終えた労働者風の人たちが何人かで店の脇の小さなカウンターを囲んでコップ酒を飲んでいます。立ち飲み屋です。店の中には独特のにおいがしていました。それが焼酎だったのです。当時は焼酎は安い上にアルコール度数が高いので、こういうお店では一番人気があったようです。焼酎と私との接点はこのときが最初だったと思います。そのときの印象が強く、焼酎→立ち飲み屋→ただ酔うだけの安いお酒という連想が出来上がっていました。大学に入って酒を飲むようになりましたが、ビールと日本酒、ウイスキーが中心で、焼酎はほとんど飲みませんでした。私の頭の中に小さい頃できた偏見があったからです。

 こういうこともありました。芋焼酎が好きになり始めた頃のことです。職場の同僚で鹿児島県出身の方がいました。私が芋焼酎が好きだという話をしたら、職場に芋焼酎の一升瓶を持ってきてくれました。田舎から送ってもらったものだということでした。当時東京では手に入らない類のものだったと記憶しています。混んだ電車の中を重い思いをしながらやっと家の近くの駅まで運んできました。指が疲れたので少し休もうとホームに荷物を置くと、次の瞬間芋焼酎のにおいがあたり一面ににおいだしました。ビンがホームに置いたときの小さな衝撃で割れてしまったのです。周りの人の視線はいっせいに私の所に集まりました。恥ずかしいこともありましたが、それ以上に貴重な焼酎を飲めないことの悔しさから、すっかり落ち込んでしまいました。いただいた友人に、この話はすることができなかったのはいうまでもありません。

 現在の芋焼酎の人気は少し過熱気味です。ブランドによっては値段がどんどん上がったり、入手が困難というものもあるようです。1本10,000円もする焼酎もあると聞きます。小林さんの話ですと、人気に便乗して利益を優先するメーカーもあるし、昔からの製造法にこだわりながら、良心的に商売を続けている方もいるようです。芋焼酎の好きな私にとっては、このブームによって、どこの居酒屋でも芋焼酎を置くようになるなど、嬉しいことも多いのですが、好きな芋焼酎が手に入りにくくなるという点では少し迷惑な感じもします。日本人の習性からすると、もう少し経てばこのブームは落ち着くのではないかと期待しています。


 
小林昭二さんのお店
         
  芋焼酎に興味のある方は是非一度行かれることをお勧めします。
  またこのような著書も書かれています。
  「本格焼酎55」日経ビジネス人文庫

     
        プール

  (2006年8月27日)

 

 

 

 
  夏休みももうすぐで終わりです。毎日の通勤路で小学校の校庭が見えます。私が通るその時間、校庭では水着を着た小学生達が水泳教室の始まるのを今や遅しと待っています。3年生前後と思われる子供達が元気に遊んでいます。今の子供達はひ弱だと良く言われますが、私がこの時間見ている子供達は真っ黒に日焼けし、決してひ弱には見えません。きっとプールが好きで、好きでたまらないのでしょう。

私の子供時代はプールがありませんでした。プールのかわりに、近くの川で泳いだ記憶があります。私の家のすぐ近くには、古川という川がありました。今は親水河川としてきれいに整備されていますが、当時はまだ、海苔の養殖などが行われていた時期で、海との間を往復する舟がその川をよく通過していました。いわゆるベカ舟の通り道でした。ですから、自然の川ではなく、運河です。このため、水量も豊富で、水深は結構あって、子供の背ではとても立てる状況ではありませんでした。小学校の低学年の頃、親からそこで泳ぐように、言われましたが、気が進みませんでした。泳ぐといっても浮き輪で川に入るだけなのですが、水が怖くて、怖くてたまりませんでした。入るのが嫌で、あちこち逃げ回ったことを鮮明に覚えています。

それより以前に私はその川に落ちたことがあったのです。魚採りをしていたときなどに足を滑らせたことが何回かありました。泳げない私は落ちる度に苦しい思いをしました。落ちたときは一瞬自分がどこにいるのか分からない状態になります。自分の回りは泡が一杯で、竜宮城のなかにきたようです。当然のように水を沢山飲みます。落ちた後は浮上して水面に出るのですが、そこからモガキが始まります。私の場合はその段階で大人に助けられたので、今日の私がありますが、運悪くその場面を見過ごされた場合などは、悲惨なことになります。近所の子供で何人かが水死したという話を良く聞きました。だから、私にとってはその川に入ることが嫌で、嫌でたまりませんでした。親に叱られ、無理に手をつかまれて、川に入れられてからは、逃げ回ることはなくなりましたが、川での水遊びで、楽しいことは少しもありませんでした。

プールができたのは6年生のときです。プールではどこでも足がつきます。そのため、昔経験した恐怖はだいぶ薄れました。夏休みのプール教室を何回か経験したあとはクロール、平泳ぎ、背泳は一通りできるようになりました。しかし、今でも海で足がつかない水深がある場所などに行くと昔の恐怖がよみがえってきます。今の時代の子のように、小さい頃からプールがあればこのようなことはなかったかもしれません。しかし、今、私は現代の子供たちができない貴重な経験をしたのだと考えています。

      盂蘭盆会法要

  (2017年8月9日)
   毎年この時期、我が家の菩提寺から、盂蘭盆会法要の案内が来ます。
  
  4年前、5年前に父と母が2年続けて亡くなり、近くのお寺に墓を作りました。それ以来、春秋のお彼岸とお盆の法要にできるだけ出るようにしています。もともと信仰の世界とは縁がなく、菩提寺を決めるにも、家の近くだという理由だけで決めていました。もっとも、このお寺には小学校の時によく遊びに言った記憶があります。同級生に、このお寺の次男がいたのです。現在の住職はその同級生の甥っ子にあたります。宗派は日蓮宗です。開山は1666年ですので、江戸時代になります。この付近は江戸時代には江戸の郊外で田んぼぐらいしかなかったようです。以前、佐伯泰英さんの「居眠り磐根江戸双紙」を読んでいたら、将軍がこの付近で鷹狩を行っているという場面が描かれていました。そのような場所だったのでしょう。

  私の小さいころ(約60年前)もこの近くは一面田んぼでした。あるのは、稲荷神社と2つのお寺だけでした。秋に神社でお祭りがあり、それに行った記憶があります。母の実家が近くで、そこから小遣いをもらって行ったのです。小さな屋台が出ていて、そこで綿あめなどを買うのが楽しみでした。住んでいる家から、母の実家には一人でよく行きました。2キロ弱の道のりでしたが、子供の足では結構時間がかかったと思います。田んぼの中の道を通るのが近道でしたが、丸太でできた細い橋を何回か渡らないといけないのです。そのころから、私は高所恐怖症であったようで、怖い思いをして渡った記憶が鮮明に残っています。
  
  父母の法要はもちろん、このお寺で行いますが、お盆の法要、お彼岸の法要にもよく出るようになったのは、母の新盆で法要の案内が来て、それに出席して、その中身を知ってからです。お盆の法要は7人の僧によって行われます。その読経を初めて聞いた時の印象は強烈でした。まるで音楽を聞いているようです。音程の違う声がきれいに調和し、コンサート会場にいるかのような気持ちになりました。ヨーロッパの音楽はキリスト教と密接に結びついており、ミサ曲やレクィエムが著名な作曲家によって作られています。仏教では違うと思っていましたが、私は仏教の中にも音楽性があるのではないかと思いました。父の法要で住職と話す機会があり、そのことを伝えたら、やはり読経をする際は歌を奏でるような気持ちも必要であるとおっしゃっていました。

  その盂蘭盆法要が今日ありました。今日の気温は38度になったようですが、本堂の中は冷房で過ごしやすかったです。今年の法要もきれいな音楽を聞いたような気分にさせてくれました。盂蘭盆会は606年から始まったこと、盂蘭盆会はサンスクリット語のウランバーナー(倒懸という意味)からきていること、7人の僧でやるのは「南無妙法蓮華経」の7文字からきていること、施餓鬼の意義などについて聞きました。これでわかったことは日蓮宗以外では7人でないのかもしれません。音楽的に聴くには7人はちょうどよい感じなのですが…。不信心ですね。

  特に私の信仰心が強くないことは冒頭にも書きましたが、いろいろ住職の話を聞いていると勉強になります。まだ、40才前後とお若く、大変エネルギッシュな方で、東日本大震災など各地の自然災害の現場でボランティアも熱心にやられています。読経も大変お上手だと感じています。秋のお彼岸法要でもまた、楽しい話が聞けそうです。